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大晦日

サボってたら、あら~大晦日になっちゃった。
みなさんどんな年でしたか。お互いいろいろありましたね。今朝の通勤の途中にcamera
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一年はあっという間でした。
小舟に乗って、流れに任せて逆らうことなく 川を下って、今年も無事ゴールに着きました。
恒例の年越しのごちそう、食べましたか。赤いワインとか、お~いしいよwine
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来年もどうぞよろしく

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通勤風景

吹雪は静まり、今朝は久しぶりの晴れ。
白い雪の原っぱにお日様が当たって眩しい。
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お寺の由来

 11月のお寺の冬じまいの折、雲帯寺の由来を教えてもらいました。
以下、いつ頃のどなたの文章なのでしょうか。
所々昔に聞いたことのある逸話がありました。

      雲慶山雲帯寺由来

 

 由緒

承久三年 北条執権は畏れ多くも順徳天皇を佐渡が島へ御遷幸し

上げたり。柏崎に御駐泊の砌り御供奉り中山某に御暇を給えり。

 中山某は中野与七郎と改名し一之貝に住所を定め只管(

ひたすら)御皇室の御繁栄を祈りたり。

 

建長五年 日蓮上人は鎌倉にて法華経を弘め立正安国論を著作し

大いに皇室の尊厳を説き 北条氏の無謀なるを責め北条氏に諌言

すること数度に及べども彼は己の非を覚らず僧侶として天下の

政治を云々するは違法なりとして日蓮上人を佐渡に流罪す。

時に文永八年九月十三日なり。

然るに日蓮著作の立正安国論の予言の如く自畧反逆し他国より

處国を攻むべき由 蒙古国より国書到来したるに依り初めて覚

る處ありき。

 文永十一年二月日蓮を赦免せり。

正副二通の赦免状を師孝第一の聞えたる日蓮の弟子日朗に社寺

奉行より手交せられしかば、

 日朗天にも昇る喜びにて鎌倉を立ちて柏崎より出船せんとした

るも連日の暴風にて何日出船するや不明なるによりて角田浜より

渡らんとして柏崎より角田浜に行かんとせしに道に迷い石峠に至

りたる時、西方に当たりて五色の瑞雲空より地上に掛れるを見て

我師日蓮上人は五色の雲有る處は必ず正法有縁の地なりと教えら

れたれば、彼處必ず法華経の弘まるべき所ならん。

 

我行きて見んとて雲を頼りに来たるに夜に入りて一之貝に着き、

現今の外の沢 八幡屋敷にて一軒の農家に到り一夜の宿を求め

たり。主人は書見をなし居りて我家狭く且つ食事とて参らする

ものなし 外にて宿を求められよ。

 我は諸国修行の身なれば食事も要らず又庭の隅にても寒気を

凌ぎ一夜を明かせば満足なれば一泊許されよ。

主人 僧侶なるを知りて中に入れ一夜の宿を許るせり。

日朗 主人の田舎には珍らしき気品ある人なれば、只人ならんと

思いて種々と語り居る内、談たまたま承久の乱に及びたるに、

主人暗然として其の有様を物語り順徳天皇の御いたわしき玉体
の事を談じて泣くのであった。

 

日朗上人は御身は先刻より只人ならずと思謂したるが大宮人にて

居らるるや

 然り吾、順徳帝にお供奉る者なりと。

我師承久の乱に深き仔細を覚りて北条氏に諌言したるかどに依り

今は佐渡に流罪の身なり。

御坊は何人の弟子にして又何宗を弘めらるるや。

吾は日蓮上人の弟子日朗にして法華経を弘むるなり。

主人驚き且つ喜び 御坊は日蓮上人の弟子なるか。

吾未だ日蓮上人を知らざれども、上人が安国論を作りて幕府を

諌むる事は己に聞きたれば日蓮上人をひそかに歸依し居れる。

然るに今夜御坊の我家に来られしは深き因縁ならんと大いに喜べり。

 

夫れより日朗上人、主人与七郎の為に法華経を講じるたれば、

与七郎 遂に日朗上人に歸依して一之貝に一寺建立せんと云えば

日朗上人、然らば一寺建立するまで御身に師匠日蓮上人より我に

与えられし船板の御判、肉筆の御本尊を授くべし。

一寺建立の暁は寺に奉納せよとて日蓮上人の眞筆の御本尊と

船板の御判を主人に授けたり。

 主人も亦 然らば吾等重代の太刀及び鐵扉を奉納すべしとて

一振の太刀と鐵扉を取り出したり。

 

夫れより日朗上人佐渡に行かれし日蓮上人と無事に鎌倉に歸ら

るるや弟子日慶上人を一之貝に派遣せられ、日慶上人、与七郎と

協力、村民を教化し一寺を建立し、日朗上人を開祖として五色の

雲にちなみ、雲慶山雲帯寺と号せり。

 

一時は寺運、隆盛なりしも中頃暫く無住寺となり荒廃せり。

寛永年間、名主 保科四郎兵衛、長岡石打町商人綱助と協力して

四郎兵衛は吊鐘其の他、綱助は荘厳品を寄付して再興したるも、

天保年間火災に罹り全焼し、真筆の本尊は本堂の前の樅の木の

枝に掛りあるを数日後に発見し、船板の御判と共に現存すれども

他の宝物は消失、又は紛失して現存せず、天保十五年 本堂庫裏

共に再建、戊辰の役には官軍の食糧庫に使用せられ

現在に至れりと伝えられる。

 

※年代について

 

承久年間  1219~1921 鎌倉時代

建長年間  1249~1256 鎌倉時代

文永年間  1264~1274 鎌倉時代

寛永年間  1789~1801 江戸時代

天保年間  1831~1845 江戸時代

 

  現在 建立後730年程経過していると思われます。

この文章の掲載に問題があればコメント願います。すぐに削除いたします。

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快適ドライブ日和

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思いがけずドライブ日和です。
春にもらった入浴無料券 今日こそ役に立ちそう、ありがとうございます。
月岡温泉華鳳 rvcar
駐車 大浴場 案内不要 タオル持参で娘と二人ゆっくり温泉に浸かりました。お掃除の時間ギリギリなので、ほぼ貸し切り状態です~confident
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帰りは陽水 玉置浩二 中島みゆき 亜矢姫の歌を聞きまくりました。
隣に娘のいるスマホ操作は多少うるさいが実に快適です。

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